持続可能な開発のための海洋科学に貢献する

※このコラムは「海洋財団だより」第19号の巻頭言からの転記です。
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(公財)日本海洋科学振興財団会長
東京大学名誉教授

山形 俊男

 産業革命以降、人口、GDP、水利用などに代表される人間活動指標の変化と地球温暖化気体の濃度、生物種の減少数、極端気象現象イベント数など地球環境指標の変化は見事に一致して急激な右肩上がりの曲線を描いている。人間活動が地球環境に重大な影響を及ぼし始めたのは明らかである。そして、狂いだした地球環境システムは今や人間活動の持続可能性さえも脅かし始めている。幸運なことに地球の太陽系における位置取りは水が気相、液相、固相の三相間で自在に転移できるユニークなところにあった。相変化よる活発な気象・海洋現象が岩石の風化を起こし、流動性に富む液相の水は良き溶媒として、物質循環と化学反応を可能にしてきた。こうして生命と環境の共進化を促したのである。結果として私たち人類の現在の社会活動があるが、今や、地球環境システムの物質循環系を破壊し、社会の持続可能性さえ危惧されるに至ったのである。

 ところで地球環境システムを丸ごと理解しようという学術界の動きは、第二次世界大戦の混乱が収束した1950年代に顕著になった。地球物理学者の音頭で1957年7月から1958年末まで実施された国際地球観測年(IGY)計画ではソビエト連邦が初めての人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、次いで米国はエクスプローラー1号で放射線帯(バン・アレン帯)を発見した。我が国の南極観測も永田武東大教授らの貢献により、この時期に始まった。海洋関係では、たまたま発生生していたエルニーニョ現象の観測データが得られ、大気と海洋の相互作用研究の基礎が築かれた。世界の海を対象とする海洋科学は極めて国際性、学際性豊かな学術分野であり、これを推進すべく海洋科学委員会(SCOR)が国際科学会議(ICSU)の下に設けられたのも1957年である。世界の動きに呼応して、日本学術会議に海洋研究連絡委員会が設けられ、初代委員長の日高孝次東大教授や茅誠司東大総長らの尽力により、1962年には我が国初の海洋研究所が東京大学に設立された。1960年には海洋観測、データ交換、人材育成を目指し、政府間海洋学委員会(IOC)がユネスコに設置されている。IOCの導入にあたっては、科学分野における貢献によって世界の信頼を取り戻そうという国の方針に基づき,我が国が中心的な役割を果たしている。こうした戦後の国際社会への貢献はもっと認識されてよいように思う。IOCは、その後大きく発展し、学術研究を推進するSCORとも連携して、海洋科学の現業面を中心的に推進する国際機関として現在に至っている。

 「人新世」への突入さえも喧伝されている現在、地球システムの急激な変化に伴う危機と好機に効果的に対応するには自然科学分野間の連携のみに基づく知の強化のみでは不十分である。社会のステークホールダーと共に、地球の未来をデザインし、それに向けて社会を持続可能な形に変革していく必要がある。そこで、ICSUと国際社会科学評議会(ISSC)は2015年に「未来の地球(FE)」計画を開始した。この10年計画はダイナミックな地球の理解、地球規模の持続可能な発展、持続可能な地球社会への転換、の三つのテーマを掲げている。両組織は一歩進めて、2018年7月に合体し、国際学術会議(ISC)として新たな展開を開始している。持続可能な開発に向けた動きは、環境と開発に関する世界委員会(ブルントラント委員会)が1987年に発表した報告書「我々の共有する未来」を受けて、国際連合が1992年に開催した国連環境会議(リオ地球サミット)に起源をもつ。ここで行動計画「アジェンダ21」が採択され、気候変動枠組条約(UNFCC)と生物多様性条約(CBD)が署名された。特に行動計画の17章では海洋の重要性が取り上げられ、海域・沿岸域の保護、生物資源の保護、合理的利用と開発が謳われた。これを受けて、IOCの主導の下、全球海洋観測システム(GOOS)計画が始まった。IOCはユネスコの下にあるが機能的自立を確保することで政治性を薄め、主要な三テーマ、気候変化と海洋、現業サービス、海洋生態系の健康に関する観測体制とネットワークの構築を着実に進めてきた。一方、持続可能な開発に向けた国際的な取り組みは2002年のヨハネスブルグ・サミット、2012年のリオ+20を経て、2015年に開催された国連持続可能な開発サミットにおいて、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されるに至った。ここでは2030年までに達成を目指す17の「持続可能な開発目標(SDGs)」が明示されている。目標14は「持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する」ことである。社会、経済、環境における持続可能性を対象とするSDGsは学術界の「未来の地球」計画と軌を一つにするものであるといえる。

 2015年にパリで開催されたUNFCC第21回締結国会議で締結された「パリ協定」に基づいて、2018年10月に仁川で開催された気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第48回総会では「Global Warming of 1.5℃」と題する特別報告書が承認された。ここでは2050年までに人為起源の二酸化炭素の放出量をゼロにして、気温上昇を2100年までにパリ協定の2℃よりも厳しい1.5℃以下に抑えるならば、地球温暖化の脅威から逃れることができるとしている。米国科学アカデミー紀要に掲載された最近の論文(Steffen et al., 2018)によれば、永久凍土の溶解、陸域・海域の炭素吸収能力の減退、海洋バクテリアの増加による二酸化炭素放出、熱帯雨林や森林の減退などが温暖化の相乗効果として起こり、地球システムは温室地球(Hothouse)に向けて暴走する可能性があるという。彼らは価値観を含む社会変革は待ったなしの段階に来ていると主張する。

 持続可能な社会の形成に向けて重要なのは、正確な現状把握である。すべてのステークホールダーが協力して、地球システムに起きていることを正確に把握するシステムの構築が急がれる。このシステムはデータ取得とサービス、政策担当者との活発な交流メカニズムから構成されるべきである。この意味からも、ユネスコIOCの主導の下で、2021年から2030年までを「国連持続可能な開発のための海洋科学の10年(UN Decade of Ocean Science for Sustainable Development)」とする決議が2017年12月に国連総会でなされ、科学コミューニティ、政策立案者、企業や市民社会に結集を呼び掛けたのは画期的である。地味な作業ではあるが、地球規模での観測網を整備し、得られるデータを根気よく維持、管理、解析してゆくことがすべての基盤となる。日高孝次教授が導入した日高海洋科学振興財団の流れを汲む日本海洋科学振興財団はこのような位置づけの中でユニークさを保ちつつ発展していく必要があると考えている。

[文献] Steffen, W., et al., 2018: Trajectories of the Earth System in the Anthropocene. Proc. Natl. Acad. Sci. USA 115(33), 8252-8259.